天王寺璃奈について、話をしようと思います(唐突)
これはアニガサキ2期の放送が迫っているからでもありますし、Twitterで「#明日へ夢を繋ごう」という素敵なタグ企画を見たからでもあります。なので3ヵ月振りにブログを書いてみようと思い立ったわけです。
目次
第一印象は「変なキャラ付けをした子」
個人的な話から始まってしまうのですが、私はアニガサキから『ラブライブ!』に入りました。なので、それまでのニジガクの企画、例えばPDPであるとかスクスタであるとかについては全く知らなかったんです。
アニガサキ第1話にはオープニングが無いので、作品の中で初めて璃奈ちゃんを見たのは、歩夢と侑が同好会の部室を探すシーンでした。「大人しい子なのかな?」と思いましたが、誤解を解くために自分の意見を主張していたので、どうやら芯がある子らしいとは思いました。ピンク髪はラ!でも珍しいと後から知るのですが、プリキュアオタクなので全く違和感無かったです。
そういう感想が全部エンディングで吹っ飛ぶのですがね。「顔になんか着けてる!?」ってね。だから第一印象は「変なキャラ付けをした子」だったんです。これは本人がというより、メタな話、公式がそういうキャラを付けたんだろうと。
スクスタが描く璃奈ちゃん
実際のところ、最初のコンセプトとして強烈な印象を与えるようなキャラを作ろうっていうのはあったと思うんですよ。だからスクスタにおいて璃奈ちゃんがボードを着けている理由は割とさらっと流す感じで説明されます。もちろん、その後からキズナエピソードでだんだん補足はするのですがね。
いずれにせよ、スクスタで璃奈ちゃんの素顔という要素がある種のエンタメになっていたことが重要です。彼女の素顔がどんな感じなのか想像し、創作するというエンタメ。もちろんそれが悪いことだと言っているのではなくて、ただ事実としてそうだったということです。
アニガサキがすごいところは、そのエンタメ性を一旦排除したことにあります。最初から素顔が見えているということは、少なくとも「素顔を想像する」ことが不可能であるということですから。その上で璃奈ちゃんボードの必要性に説得力をもたせたのがアニガサキ6話でした。
笑顔のカタチ(⸝⸝>▿<⸝⸝)
神回と名高いアニガサキ6話ですが、私が推し確したのはこの回です。ストーリーの説明は省かせていただきます。
6話では璃奈ちゃんがボードを着ける理由について丁寧に説明しています。璃奈ちゃんが抱える悩みは、表情が変わらないこと。しかしその実、本当の悩みが「感情が伝わらないこと」であることには注意すべきです。表情はその原因に過ぎません。
ここが脚本の妙で、私たちは璃奈ちゃんが自分の無表情をコンプレックスと捉えていると認識します。というか、本人も最初はそうだったはずなんです。「どうしても気になっちゃうんだ」という言葉からそれが窺えます。そして、無表情を「直すべき問題」と捉えて生まれる璃奈ちゃんボードがあるとしたら、それは顔を隠すための仮面になっていたと思います。アニガサキはそうはさせませんでした。
同好会の仲間による肯定の言葉を拾ってみましょう。頑張り屋さん、諦めない、機械に強くて動物にも優しい。誰も表情のことは話していないんです。天王寺璃奈には、天王寺璃奈としての魅力があった。3話の、猫のはんぺんを守る描写は、彼女の魅力を既に説明していたのです。また、彼女が感情豊かであることも、5話までと6話の序盤で十分に描写されています。
また、ここで愛さんが何も言わずに、段ボールごと璃奈ちゃんを抱き締めることは、彼女の魅力も弱点も承知した上での最強の肯定でした。
決定打がかすみんの「ダメなところも武器に変えるのが一人前のアイドルだよ」という言葉です。表情が変わらないなら、見せてしまえばいい。璃奈ちゃんボードが誕生した瞬間でした。それは機械に強い彼女だけが装着できる、彼女だけのアイデンティティ。隠すのではなく、伝え、繋がるための手段。弱点は武器に昇華したのです。この見事な転換には驚かされます。
6話の前半には猫のキャラクターが登場します。名前がどこにも載っていないので勝手に「りにゃこ」と呼んでいるのですが、このりにゃこは登場回数こそ少ないけれども、6話の裏テーマの進行の役割を担います。
ライブの告知にりにゃこを用いた璃奈ちゃんは、「PVはキャラに頼っちゃったから」と発言しました。しかし実は、彼女の感情を伝える点で、りにゃこは璃奈ちゃんボードと同じなのです。最初は否定したりにゃこが、最後には璃奈ちゃんと一緒に舞台に立っていることからもそれが分かります。璃奈ちゃんにとってりにゃこは、使い捨てる単なるキャラではなかったのです。きっとボードと同じくらい大切な存在になったはず。
また、究極を言えば、璃奈ちゃんボードの原型というのは、窓ガラスに映った自分の顔に笑顔を重ねたシーンにまで遡ります。
6話の中盤で何度も繰り返されるセリフに「私は変われる」というものがあります。では実際、璃奈ちゃんは変わったのでしょうか。ここには議論の余地がありますが、6話以降も(ある1シーンを除いて)璃奈ちゃんは無表情のままです。その点では変わっていない。けれども、「璃奈ちゃんボード」という「感情を伝える手段」ができたことは、大きな変化と言えます。つまり璃奈ちゃん自身は何ら変容していない。あくまで手段が変わっただけなのです。
もちろん、最終的には素顔になるのが目標だっていい。その始まりが、ボードの下で浮かべた笑顔だとしたら、それは璃奈ちゃんの成長を予感させるものです。
自分の気持ちが上手く伝わらないという経験は、多かれ少なかれ私たちも有しているものです。だからこそ、私たちは璃奈ちゃんに共感し、彼女が踏み出した一歩に希望を見出すのでしょう。
2期ではボードを外すのか
アニガサキ2期では「素顔で笑うのではないか」「ボードを外してライブするのではないか」などの予想が成されています。私も最初はそうなったらいいな~と思っていましたが、今は少し変わって、ボードを外さなくてもいいと思っています。
なぜなら天王寺璃奈のカオは、彼女の素顔でもいいし、璃奈ちゃんボードでもいいし、りにゃこだっていいからです。それら全てが璃奈ちゃんの感情を伝えることができる「カオ」だからです。そのどれを選ぶかは璃奈ちゃん次第です。
もちろん、スクスタと同じように、彼女の目標が「素顔を見せること」に設定されるなら、それもいい。どんな形であれ、璃奈ちゃんはもう感情を伝え、人と繋がることができるのですから。それから先の軌跡がどんなものになろうと、私はそれを応援したいと思います。
ファンブックを読んで
この記事を書いている途中にちょうどアニガサキファンブックが届きました。あまり詳しく書くのは無粋ですが、2つだけ気になった言葉を引用します。
まず、監督河村智之さんの言葉。
璃奈のような子は、ボードを取ることで成長するというのがよくあるお話の作りですが、璃奈ちゃんボードは彼女の個性なので、それを取り除いて個性を潰すことはしたくありませんでした。
-『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会TVアニメオフィシャルBOOK』より引用
璃奈ちゃんが愛されていることがよく伝わってきますし、恐らく6話の根幹にある考えなのでしょう。
できない自分も認めて、できることを最大限がんばりながら楽しめばいいということを、璃奈ちゃんのおかげで知ることができたんだ。
誰しも弱点があって、悩むこともあるかもしれない。けれど、自分のことを嫌いにならずに、弱さを抱き締め、強さを見つめて、「まずは始めてみ」る。そうすれば璃奈ちゃんのように、新しい一歩を踏み出せるのかもしれません。
最後に、最高にときめくタグをありがとうございました。
追伸・よければ6話の感想も見てやってください。
tenshi-shitsuzi.hatenablog.com